白石/hitodama128/コースの雑記

白石倖介(ひとだま128)(コース)の雑記です。Tech・まんが・毎月のまとめなどを書きます。お仕事依頼はメールをください(記事を書いたり、編集したり、写真を撮影したりできます)Mail:hitodama128 at icloud.com Twitter:@course128

ことばクラスター(シーンとスケール)

1月16日に誕生日を迎えました。TwitterInstagramに「爆裂祝ってくれ」と書いたら本当に皆さん爆裂祝ってくれて大変嬉しかったです。ありがとうございました。

このごろ、10年という時間について考える時間が増えた。それは好きなコンテンツや友達付き合いなど、身の回りのいろんなことが相次いで10周年を迎えていることに加えて、僕が初めて「10年」という尺度を得たことにも起因しているように思う。
人は身の回りのあらゆることを区切ることによって記憶している。この区切りを「シーン」と呼ぶならば、人はシーンによってしか自身の思い出を知覚・保持できない。そして、その思い出をどのような尺度で振り返るかによっても、思い出の見え方は変わってくる。つまり、シーンをどんなスケールで保持するかということだ。僕はそろそろ人生で初めて「10年」というスケールを得た、だから今、いろんな時間をこのスケールに当てはめて覗いてしまうのだと思う。
シーンとスケールを用いて人は過去と向き合っていく。

「私はこの10年で何を、何かを成し遂げただろうか?」
「私の10年は美しい時間でした」
この大カッコは不変で、だからこそ普遍だ。いろんなときにかばんから10年ものさしを取り出して、測ってしまう。

それで、気づいたんですけど、僕は10年の間、ことば垂れ流しで生きてきたんだなと。僕はずっと言葉の近くにいて、それは不安なときにも靭やかな文はぐにゃっと曲がったりぷるぷるしたりしないからで、なんだか寝て起きるみたいに、ずっと喋ったり、ずっと書いたり、していたなって。それは僕に安心をもたらす大事な要素で、つまりは生活の一部で、でもだからこそ、同時に僕は自分が話したり書いたりする言葉にずっと無頓着で、さらにいくつかのコンプレックスや恥じらいからそこに価値を見出さないようにしていたんですけど、昨年はいくつかのタイミングで真剣に言葉と向き合って、そうして書いたり口に出したりしたものを、文章だったり、早口オタクだったり、記事だったりといった形でパッケージングして出力しました。そうしたら、僕の言葉を真剣だって、美しいって、素敵だって言ってくれる人がたくさんいて、とても嬉しかったです。
自分を信じることはとても難しく、しかし自分をないがしろにし続けるといずれ限界は来るもので、結局のところ当事者に近道はなく、遠回りしながらでも内省に帰ってくるんだなって、しみじみ思っていまいました。
人生の転機でした。もう一度信じます。今年はそういう忘れ物を拾っていく。もう一度信じる。何度も言いますが、今年は飛躍の年にします。よろしくお願いします。

会社員をできなくなってからそろそろまる2年ぐらい立ちます。昨年9月にフリー宣言をしましたが、まだまともに身を立てられているとは言えない状況。「フリーライター」を名乗ったものの意味不明な事し過ぎだし、むしろそれを面白がって、もっと意味不明にしていきたいと思っているので、フリー意味不明文字屋さんぐらいのレンジの広さで行きたい。詩とかも書く。

と、こういう成り立ちと心境の変化があった結果いろいろ見直しているんですが、今僕はこのBlogとInstagramTwitterに言葉を垂れ流しにしていて、なんでこうなっちゃったかというと無頓着だったから、なんですけど、選択と集中って絶対大事ですよね。素敵な歌が素敵なのは、製作者がその歌に注いだ時間が素敵だからで、今の僕は自分から出てくる言葉を出てきたそばからクラスター爆弾みたいに落としてしまっている。自分の言葉を大事にする上で、選択と集中について考えます。当たり前だけど仕事してる時ってツイート少ないんだよ。

どこを選んで注力するべきなのか、自身の言葉を最大化できるポイントはどこなのか、考えて行きます。なのでブログとかツイートとか写真投稿とか、減るかも。減ってたら良い傾向なのでそっと祝ってください。

あと、お仕事、いつでも募集中です。書く仕事に限らず。