白石/hitodama128/コースの雑記

白石倖介(ひとだま128)(コース)の雑記です。Tech・まんが・毎月のまとめなどを書きます。お仕事依頼はメールをください(記事を書いたり、編集したり、写真を撮影したりできます)Mail:hitodama128 at icloud.com

性差くたばれ

この間、「自炊のできる男は地雷」という文章を読み、「そんな、頑張ってご飯作って食べてるだけなのになんでこんなこと言われなきゃいかんのだ、確かに俺は地雷だけど!」とまで思ってその文章の出来の良さに打ちひしがれた。

痴漢も乱暴も強姦も大体僕の性が無自覚に起こすこととされている。それは性が悪いか?悪なのは無自覚なカスではないか?毎日、自身の性の加害性に怯えながら生きている。「男は」「男は」「男だから」「男の」「男性は」とかほんとぜんぶやめてくれ。

 


性なんて置いてけぼりにしたいろんな愛に支えられて生きている私は、しかし不意に「自身の性を大切にしたかったんだ」ということを思い出して震えてしまう。

可愛いこと、格好いいこと、ぜんぶ不変の素敵なやつ。ぜんぶが美しいの。だからそれが好きなの。それだけでいいっていろんな本が教えてくれたのに、不意に私はその普遍性を自身の性に結びつけてしまう。

だって全く男らしくないので……オレッち男らしくないんだぜ!(無理やりやったらひずみが生じた)

キャバクラやガールズバーに行くことは、人生の経験上何度かあるし、そういう場所を楽しめるかもしれない、という期待もあったが全く楽しくない理由は、ああいった場所が「男が女にお金を払って性別優位を得る場所」だからだ。その優位が大嫌いだから楽しいわけがない。それどころか、日常で無自覚に男性の持つ優位性を享受していたことだって何度もあるし、気付くたびに嫌な気持ちになった。

「男性優位」がばっちいから触りたくないのと同じように、男らしいとか女らしいとか「性らしさを前面に出して振舞うことが良しとされる全ての事象」にほんとヘドが出るんだけど、でも自身、性別をもって以外説明できないほどに女や男を感じてしまう瞬間はもちろんあって、だってそれは身体の起こりから分かたれているのだから当然のことで、さらに精神とは身体に宿る電気やタンパク質の有機的振る舞いなのだから、そんなの性(を起点にした異なる身体性)で違いが現れるに決まってる。

さあ、どこまでが生物でどこまでが学問で、どこまでが身体でどこまでが差別でどこまでが自身だ?考えろ!

詩人や作家や魔法使いになれなかった僕は、自身のテーマに対してまっとうに、理性的に向き合って考えること「まで」しかできない。生理と理性をいずれも肯定することが20歳の時のテーマだったけれど今だに何も変わっていない。同じ人間がこの星で生きているだけなのに、なんで僕らは性差から始まる小さなカーストをたくさん作ってしまうのかな。

 


あと、本当に嫌いな人間が多いし、本気で嫌いなので、すごくいびつな形の紫色の剣で毎日素振りをしている。すると、いつか僕も誰かのこの剣に貫かれるのかと思ってしまう。そう思うと誰かに話しかけるのがどんどん苦手になる。

顔や姿の美醜は確実にあって、そして美醜とはそれそのものがカルチャーなので、美しい人間も美しくない人間も醜い人間もひとえにその文化の中でもがいて、ときに苦しんでいる。なんでなの?なんでそんなことになるの?

お前の剣と俺の剣は別のやつだから、それだけが私の性から解き放たれた数少ないプライド。