白石/hitodama128/コースの雑記

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何かを解き明かしたいという気持ち

 何かを解き明かしたいという気持ちに気づいたとき、身体が震えてしまう。多分体温も上がっていて、走る気持ちを抑えて、自身がその中心に向かっていくための筋道を信じたくなる。解き明かせるのかはわからないけれど、視界の全てが真っ暗な世界の中心に、少しだけ明かりが差して、薄っすらと照らされた道がわずかに見えるような、そんな瞬間に足をひっかけて、歩き出す。光の向こうへたどり着けるのか、という不安は常にあるけれど、歩き出せるという喜びは身体を高揚させ、目を凝らすのも辛くない。視力が高くなったような気持ちで、次の筋道を探してその暗闇をじっ、と見る。
 何かを解き明かしたいという気持ちを辿っていると、その道程が中腹に差し掛かる辺りで不安が大きくなってくる。
本当に解き明かせているのか? ー袋小路なことも、ある。
本当にこの道で正しかったのか? ー間違っていることも、ある。
 けれど、そこまで歩いたことで、一つ間違った道を知れたことは、絶対に無駄ではないのだ。なぜなら、その瞬間に一つ何かを解き明かしているからだ。 
 そうやって、右往左往しながら、光の方へと向かっていくことが、”言葉”になると僕は嬉しい。書きたいと思う。話したいと思う。”言葉”は文化遺伝子の伝送経路であり、人はずっとそれを受け継いできた。その連綿と続く道のりに無駄なんて一つもなかったのだと信じてしまうのは、それが何かを解き明かし続けてきたからだ。
 LogosとMediumがMemeに至る、その時間の先端で、今日も僕らが誤解や矛盾に苦しみながら、欠陥だらけの言葉で、それでも思いを伝え合うのって、ひとえに、何かを解き明かしたいからだと思います。