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「ルパン三世 カリオストロの城」-シリアスからコミカルへと帰るキャラクターたち

ルパン三世カリオストロの城宮崎駿初の長編アニメ映画だ。もともとテレビ版1期のルパン三世宮崎駿が撮っており、その流れで劇場版も監督しているのだが、すでにキャラクターたちの描写は「宮崎キャラ」然としており、原作ファンからは「ルパンぽくない」と言われる作品でもある。

特殊な作品で、ルパンぽくないっていうのも事実だし、そういう感想が出るのもわかるんだけど、僕は物語が、そしてルパン自身がそれを自覚している描写があるから好きだ。

 

カジノ強盗に入ったルパンは、そこで盗んだ金が稀代のニセ札、ゴート札であることを突き止める。ニセ札の出所、カリオストロ公国に忍び込んだルパンはそこで政略結婚に苦しむクラリス姫を救い出す。

「ドロボウ仕事に精を出すコミカルな悪役のドタバタ活劇」と言った趣ではなく、物語はどんどんシリアスになっていき、最後、救われたクラリス姫はルパンに着いていきたいと抱きつくが、ルパンはクラリスを抱き返すことなく、「また闇の中へ戻りたいのか? やっとお日様のもとに出られたんじゃないか」と告げて去る。

ラスト、峰不二子が持ち出したニセ札の原盤を欲しいとせがみながら消えて行くルパン、追いかける銭形、それを見送る老人の「なんと気持ちのいい連中だろう」というセリフで物語は終わる。

 

こんなに丁寧に「大長編の終わりとルパン的日常への回帰」を描けていることが、「ルパンぽくない」への反論として完成していないだろうか? お日様のもとから闇の中へ、非日常から日常へと帰って行くキャラクターたちは、コミカルに自身のロールへと走って行く。数分前に「あなたの心です」と言っていた銭形が「ルパンを追えー!地の果てまで追うんだー!」と言っているのはまさに象徴的だ。当初の目的であった「ゴート札の原盤」を峰不二子が持っているというところも相まって、「着地」が素晴らしすぎる。

 

逆に言えば、これが宮崎駿の「ルパン」なのだ。そもそも原作・他のアニメにおいてルパンは人もバンバン殺すし、善人でも「いつもコミカルなドロボウ」でもない(場面によるけどいつもではない)。むしろハードボイルドな、ドロボウへの美学を持ったキャラクターとして描かれている部分が多い。

しかし宮崎は「ルパンがルパンであるためには、ルパンは絶対にコミカルな世界に帰ってくる必要がある」と考えているように見える。だからこそあのラストでしかあり得なかったのだろうと思うのだ。もちろん、いつもコミカルなキャラクターが走り回るような世界では、銭形の「あなたの心です」

は機能しなかっただろう。いきなり銭形にあんなこと言われたら笑ってしまう。しかし、ドラマの連鎖があのセリフを金言とし、さらにそのドラマをコミカルに終わらせて行く。この色彩、グラデーションの豊富さ。

全編を通して描かれるアクション、隙のない画面、次元大介の頭の悪さ、全部がすごいけれど、シリアスな舞台を降りて、コミカルな闇の中へと帰って行くキャラクターたちのメリハリ、それを納得させる幕の降ろし方に、いつも感動してしまうのです。