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下っぱ編集者の雑記。

2009年の思い出 第1話 挫・人間と出会う前。

昔から文化史が好きだ。人が何かを作った際に起きた事象を、当事者たちが後から振り返って書いた本などが好きで、そこには、僕が絶対に体験できない過去の熱狂が保存されている。
その熱狂は、当事者からすれば意外となんでもないことであったりして、例えばお酒の席とかで、年上の人の口から驚愕の過去が語られたときにも、その人は意外と飄々としてたりする。
自身が当事者であればあるほど、過去の何でもない会話は忘れてしまうものだけれど、僕が過去にした何でもない会話が、誰かにとって価値あるものなのかもしれないと思うと、それを少しでも保存したい、記憶を記録にとどめたい、という気持ちが、特にここ数年、年々強くなってきた。

だからいくつかの思い出話を、ここに書こうと思う。
本当に書きたいメインストーリーは、公開時に関係各所に確認を取る必要がありそうなのと、今日1日では書ききれない大きな物語になってしまいそうなので、まずは今も深い交友の続く、大切な友人との出会いの話を。

 

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2009年7月1日。当時大学1年生だった僕は、演劇学科に入ったことを心底後悔し、全く学校に行かず、ボケっとゲームなどをして過ごしていた。
その半年前などは、友人のバンドがライブをするのについて行って、ライブ写真を撮ったりしていたのだが、この年、色んな理由で写真を撮ることも出来ず、本当にボケっとしていたのだ。

ボケッとしていたら電話が鳴った。
「『閃光ライオット』ってオーディション企画で組んだバンドがあって、ライブハウスで録音してるんだけど、来ない?」と、たしかそんなような連絡だった気がする。電話をかけてきた友人は、その企画バンドで「スコポン」という名前でドラムを叩いていた。

クソダサい名前のオーディションだなあ、なんて思いながら向かった新宿紅布。
紅布に着くと同級生が数人いて、Macで『閃光ライオット』のWEBサイトを見ていた。
数回の選考を経てファイナリストに選ばれたバンドは、東京ビックサイトの屋外展示場でライブをできる、という触れ込み。そしてその日、ファイリストの公開が数日後に迫っていた。
で、このWEBサイト更新者がヌケサクだったのか、実は公開日の前にWEBサイトが更新されており、動線がないだけで、URLを直に叩けばアクセスできる状態になっていた。見込みのあるバンド名をローマ字にして、ドメインの最後に挿入してリターンキーを押すと「ファイナリスト確定!」的なページに飛ぶのだ。マジでヌケサク。そして、この企画にエントリーしている数々のバンドの中でも、スコポン氏イチオシのバンドがあり、彼らの名前をローマ字にして打ち込んだとき、スコポンは嬉しそうに声を上げた。
ここで僕は初めて、そのバンドの名前を知った。

「お、『挫・人間』残ってる!」

ズットズレテルズではなく、挫・人間の話です。


僕がスコポンから聞いたのは、
「『挫・人間』というバンドが熊本に居て、僕らの一つ下の学年、つまり高校3年生のバンドなのだが、クソオタクでボーカルのデブがヤバい」というような情報だったと思う。

当時ズレテルズのメンバーは皆、挫・人間に注目しており、挫・人間がファイナリストに残ったことを喜んでいた。その後、スコポンは挫・人間となんとかしてコンタクトを取りたいと思い、mixiで連絡したのだ。
「閃光でやるライブの1週間前に、閃光に出てる人たち集めて下北でライブやろうと思ってるんだけど、来ない?」というような内容だったはずだ。
ファイナリストには、閃光ライオット側から交通費やホテルが用意されるのだが、もちろん1週間前に来たバンドにそんな待遇はしてくれないので、熊本のバンドが東京に前乗りする場合、住む場所を確保する必要がある。どう考えても高校3年生の挫・人間にはハードルが高い。送ったスコポンはバカだと思った。
でも多分、挫・人間の下川というボーカルもバカだったんだと思う。8月、挫・人間は東京に来た。1週間前乗りで。
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もっと簡単に書こうと思ったんだけれど、頭から書いたら意外と長くなっちゃったので、今日はここまで。マイペースに連載します。