MOSAIC.MAID給仕祭と13歳の僕。

先日、MOSAIC.WAVがディアステージで喫茶&ライブイベントをやるということで、下川くんと行ってきた(ベルサールでは電撃祭がやっていて、バーチャロンの試遊台が稼働していた)。
カフェもライブも素敵なイベントでした。
2018年に"AKIBA-POP"を秋葉原で聴けると思ってなかったし、み〜こさん動いてるのがもう凄まじくて、思わず両手を合わせて見てたら、横にいる下川も手を重ねていた。祈りのように手を合わせながら、チカチカした音の中で、「めがねでねっ!」「魅惑のツンデロイド」を生で聴く体験が、ちょっと信じられなくて、時間がバグってしまった。そのバグを下川と一緒に体験できて、すごく嬉しかったです。偶然取れたチケットで、忙しい中一緒に行ってくれてありがとう。

その感想を書こうと思って、昔のことを思い出したら、なんかチャンネルがずれちゃって、下の文章が出来上がりました。至近未来を望遠レンズで見たような圧縮効果が生まれてしまい、思い出の続きもライブの感想も、全部が時間を超えてしまった。

 

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最近、昔取りこぼしたモノに対しての執着がすごくて、いろんなことをやり直している。目を瞑るとあの頃が追ってくる。けれど、こうして思い出すあの頃の僕も、今と変わらず何かに追われていた。2006年、13歳(中2)の僕は常に急いていた。

とにかく、オタクに対してのコンプレックスが炸裂していた。自分だってオタクなのに、それが嫌で嫌で仕方がなかった。特に、物語や音楽に、機能を求めたり、それらを自身の横に置いてでかい顔する奴が全員嫌いだった。ある日暗い部屋で読んだ『最終兵器彼女』をどうやって論破しようか寝ずに考えた。あらゆる何かを打倒しようと叫ぶ構えを取ってみても、なんと叫んでいいか言葉が見つからず、頭の中に灰色のレイヤーだけが増えていった。寝ていないから自身の描画性能が追いつかない現実世界の中で、漫画と液晶があまりにも輝いていた。つまり僕はずっと輝きを追って、暗闇に追われていた。
コンピュータが好きだったし、インターネットにはいくら潜っても底がないように見えた。イヤフォンから魂のルフランを垂れ流し、家のMacで崩れたアスキーアートを見ながら2ch(今は5chらしい)にROMっていた。Windows PCを持っていないことが辛かった。あの頃のオタクにとってWindowsを持っていないというのは、身体が半分無い状態からスタートするのと同義だったので、僕はMacを使って身体のもう半分を作った。インターネットのもっと深いところに潜るためには、つまり生き残るためには必要な施策だった。月姫Macでやったし、「伺か」もMacで動かした。僕は偽春菜を覚えている。君は僕を覚えているだろうか? あの頃の経験から、僕は新しいハードウェアを買うたびにその上で月姫を動かすようになった。僕の初代iPod touchでも月姫が動いている。
中2の夏、どうしてもWindowsでしか動かないとわかった「Melty Blood」をやるために、「3万円で作れる自作PC」という本を買って、初めてWindows PCを組んだ。Windowsのことなんて右も左もわからない状態で中古パーツを買いあさり、組み上げて電源を入れたら、エラーを告げるビープ音が家中にけたたましく鳴り響いた。英語飛び交うWEBサイトを検索しまくった結果、サポートページにたどり着き、店員のミスでパーツを間違えて買ったことがわかり、秋葉原まで返品しにいった。てんやわんやあって組み上げたWindows
は不細工だったけれど、おなじように醜い僕の半身としてはこれ以上なく正しかったし、ホワイトキャンバスで買ってきた「東方紅魔郷」が映す、パチュリー・ノーレッジの紫色の弾がブラウン管に揺れる姿は、ひととき自身の周りを忘れるぐらい美しかった。
常に明るくてキラキラしたものを追い続けていたのに、灰色のレイヤーは減るどころか増え続けた。「美しいってなんだろう?」とダサいことを考えている時には、間が悪いというか、耳元でNirvanaが流れていた。 "Smells Like Teen Spirit"を「厨二臭」と訳したネット民天才だと思う。

つまるところこの苦しい気持ちの終わりを探していた。
もちろんそんなものはなく、灰色のレイヤーというのは行き所のない気持ちのキャッシュファイルだったのだと今ならわかる。
だからあの時ネトラジ「ラプラスの魔ラジオ」から流れてきた「笛吹き男とパレード」に衝撃を受けたのは至極当然のことで、当時秋葉原で買えるアルバムは全部買った。
https://www15.atwiki.jp/rapurasunoma/

auの携帯電話で毎日見てたアキバBlog。「Elysion~楽園幻想物語組曲~」が出た時の記事を僕は今でも忘れない。
http://blog.livedoor.jp/geek/archives/18796563.html

僕が産まれる以前から情報が増え続けるこの世において、輝く歴史の中間地点に産み落とされたことが悔しくて辛かった。テクノロジーへの憧れや、恐れや、軽蔑は、却って僕の「理解したい」という気持ちを加速させた。何よりも、「知らないまま持っている感情」が一番怖かった。だけど、インターネットは深すぎて、当時の僕は文字通り情報の波に溺れていた。検索に次ぐ検索を経てたどり着いた、管理人が置き去りにして忘れ去られた原色のWEBサイトが文字化けしていた時、2バイト文字の濁流に流されながら、僕は興奮していた。MOSAIC.WAVは、そんな僕に"効いた"。
http://www.sham.jp/studio/product/02akibapop-alcd/index.shtml
あの頃の秋葉原は、インターネットを具現化したかのように、最先端の文字や色、記号で溢れていた。MOSAIC.WAVを聴きながら秋葉原に行くと、自身のいる地点がかすかに見えて安心した。局地的なインターネットが街に具現化されている、という体験は、世界がそこで閉じているような錯覚を起こし、セカイ系コンプレックスから抗えないとって、すごく安心する場所だった(人は安心すると進化しなくなると信じていたので、それも少し嫌だった)。
ツンデレ」「眼鏡っ娘」「メイド」などの記号がルパンのタイトルみたいにチカチカと巡る世界で、これらの言葉を嫌いにならないでいられたのはMOSAIC.WAVのおかげだと思う。60フレームの世界でも、無限解像度の現実世界でも、灰色レイヤーの質量は変わらなくて、しかし「We Love AKIBA-POP!」って言葉はあまりにも明るくて、やっぱりキラキラしていた。
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今、でも、キラキラしていた。

カメラの話の続き。

調子が悪いと文章書けなくなっちゃうんですよね。2月は全く更新しないまま過ぎてしまった。

前回の記事で書いていた、買ったカメラ(α7II)の話を軽く。

カメラを買った数日後、大雪が降ってきた日に、秋葉原に行って撮った写真です。

 

20180122秋葉原 

 

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・「レンズから入ってきた光を鏡で反射させてファインダーで覗く仕組みのカメラ」を「一眼レフ」と呼び、鏡の入ってないカメラを「ミラーレス」と呼ぶ。

・カメラは「センサ」で光を取り込んで画像を作る。一眼レフやミラーレスは、コンパクトカメラに比べてセンサが大きく、いい感じの写真を取ることができる。

・センサの大きさにも種類があり、「フルサイズ35mm」「APS-C」「マイクロフォーサーズ」などという名前で呼ばれている。フルサイズが一番強い。

  

という前提のもとで、”ミラーレス”というジャンルのカメラは多数あれど、”フルサイズミラーレス”は世界で1社、ソニーしか作っていない。高校生の頃から、「いつかフルサイズが欲しい」と思っていた私、2018年にして念願の初フルサイズです。

レンズも、念願のツァイス(ドイツの光学メーカー。いいレンズ出してる)を買いました。  

 

大雪の夜に持ち出した感想としては

・本体軽い!

・レンズ明るい!

・RAWの情報量がとんでもない

・フォーカスポイント設定が面倒!(動体の撮り方を模索中)

でした。ほんといいカメラ。

 

しばらく撮ってなかったけれど、いいカメラを買ったので、ライブ写真とか撮れるときは撮ろうかなと思いました。

 

 

カメラと僕。

中学ぐらいからずっと、趣味で写真撮影を続けている。
最初は主に、風景を撮るのが好きだった。

2003年。中学生の頃、初めてデジタルカメラを買った。当時はスマートフォンなどもちろん存在せず、一部の携帯電話にやっとカメラが搭載されたような時代。人は皆、デジタルカメラを持ち歩いていた。
買ったのはミノルタの「DiMAGE Xt」だった。こんなカメラだ。

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僕が買ったのはシルバーだったけれど。
普通のカメラはズームするとレンズが飛び出す。けれどこのカメラはレンズが本体の中にあり、ズームしてもレンズが伸びない、という特徴があった。
コンパクトで可愛くて、レンズが伸びないところがSFに出てくる道具っぽくて、すごく好きなカメラだった。

3年ほど使ったこのカメラは壊れてしまい、キヤノンの「IXY DIGITAL 800IS」を買った。
2006年ごろ。

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キヤノンのIXY」は、CMとかがすげー格好良くてカメラのデザインも素敵だった。同じくこれも3年ぐらい使った。2009年、高校の卒業式でも使ったなぁ。

 

そしてIXYを使いつつ、2007年、高校1年生の時に初めて「デジタル一眼レフ」を買った。
友人のライブ写真を撮る機会が増え、もっといい写真を撮りたくなったのだ。
買ったのはニコンの「D40」というカメラ。
当時、ニコンキヤノンは低価格な「入門用一眼レフ」を出し合っており、キヤノンの「Kiss」シリーズに対してニコンが出したのがこのD40だった。「デジタル一眼レフを買うなら10万円から」という時代だったのだが、このカメラは店頭売価6万円程度。もちろんほかのカメラに比べたら色んな機能が削がれているのだが、それを逆手に取った約475gという軽さも強いアピールポイントだった。軽さと安さにフォーカスした、ニコンが勝負を仕掛けたカメラである。

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安いだけあって色んなスペックが最低限だった。
ピントを合わせる箇所を「フォーカスポイント」と呼ぶのだが、中堅機で11点ほどあるフォーカスポイントが、D40は3点しかなかった。なので、3つの箇所のいずれかに合うようにピントをあわせて撮影する必要があった。
このカメラでいろんなものを撮った。高校時代、友人のライブ写真の殆どはこのカメラで撮影していた。今写真を見返すと、すごく頑張って撮影している当時の自分を思い出す。

高校卒業後、ライブ写真を撮る機会はめっきり減ってしまったのだが、一眼レフ自体は持ち歩き、撮影していた。
一眼レフの使い方も解ってきたところで、さすがにもう一つ上のグレードのカメラが欲しくなった。そこで買ったのが、D90だった。

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2010年に購入した。一時期、「Flickr(写真共有サイト)上にアップロードされている写真が最も多いカメラ」となったことでも有名なこのカメラ。ニコンのベストセラーといえる中堅機で、古いレンズも使えて丈夫、1000万画素を越える高画質が魅力的なカメラだった。

ずっとこのカメラを使っていたのだけれど、気づけば持ち歩かなくなってしまった。何故かというと、重いから。
一眼レフとしては軽い方なのだけれど、この数年間の間にiPhoneのカメラがものすごい進化を遂げてしまい、「もう一眼レフ持ち歩かなくてもよくね?」という世界になってしまったのだ。


その後、2014年に雑誌編集部に就職。仕事柄カメラを使うのだけれど、D90は重いし、「軽くてめちゃくちゃキレイな写真撮れるカメラ」が欲しくなってしまった。そんな滅茶苦茶なカメラが有るわけがない、と思ったら技術の進化は凄まじく、ソニーがとんでもないカメラを出していた。

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RX100M3。滅茶苦茶スゴいカメラで、今現在も使用している。
この数年の間で、ミノルタコニカが合併してコニカミノルタになり、コニカミノルタのカメラ部門がソニーに買収されたため、ソニーがカメラをバシバシ作っていた。そしてそのカメラが軒並み超スペックを叩き出していた。

で、このRX100M3を使っていると、D90のスペック不足が甚だしい。画素数は低いし、重いし、AFは遅いし…。全く使わなくなってしまった。
考えてみたら8年以上前のカメラなのだ。この8年の技術革新はめざましく、どのぐらいすごいかというとiPhoneが「デジタルカメラ」の代わりになってしまったぐらいすごい。
そんなわけで、一眼レフは使わず、主にiPhoneとRX100M3で写真を撮影して過ごしていた。
…んだけど、iPhoneにもRX100M3にも撮影できない写真というのが確実に存在する。
1つは「速く動くもの(動体)」。iPhoneもRX100M3もAFが遅いため、なかなか難しい。
もう一つは「暗い場所・明るすぎる場所」での撮影。
これら2つの条件がどちらも揃うのが「ライブ写真」なのだ。ライブ写真は一眼レフじゃないと撮影できない。
「もうライブ写真を撮ることはほとんどなくなったのだけれど、もし撮ることになったとき、いいカメラを持っていなかったら悔しい思いをするし、何より一眼レフでもう一度写真を撮りたいな」、という気持ちが昨年からどんどん強くなっていた。

そして一眼レフからミラーレス一眼へと鞍替えして、今日カメラを買ってきた。
α7II。

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とりあえずぶっちぎりで素晴らしいカメラでした。

続きは別で書きます。

2009年の思い出 第2話 土曜日が見せた夢

前回書いたこと、そしてこれから書いていく文章は、ほぼ全て僕の思い出・記憶と、過去の日記を見て精査したものなので、事実と違う部分があるかもしれない。なのでツッコミがあるときはいつでもコメントください。適宜修正or反論します。

前編はこちら。

http://hitodama128.hatenablog.jp/entry/2017/10/29/222223

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2009年8月。ズットズレテルズが企画したライブ、「世田谷90'presents TEEN AGE SCREAM CONTEST Vol.1~知ったフリしろライオット~」の開催日(よくリンク残ってたよな)。「閃光ライオットで出会った面白いバンドをたくさん出して、下北沢ガレージで大騒ぎしよう」というような催しだ。開催の当日、ヒゲメガネは僕に電話をかけてきた。
「リハ終わったら暇だから下北で会おうよ、会わせたい奴がいるんだ」
下北沢に向かう僕は、「ああ、おそらく先日聞いた挫・人間というバンドの人だろう」と思った。前情報がほとんどなかったうえに、僕自身が今よりももっと人間も態度もできていない(くせにしがらみに起因するプライドだけは高いクソ)オタクだったので、期待よりも大きな不安を持って「年下だし許せるかな」と、出会う前から許せない奴への対処法を考えていたと思う。
今の僕でもそうするから多分間違っていない。

下北沢に降り立ち、空いてるのを見たことがない十字路のあたりで待ち合わせた記憶は正しいだろうか? ヒゲメガネと合流して、横にいる猫背の、太った小柄な男を紹介してくれた。
「熊本でバンドやってる挫・人間の下川くん」
付いてた敬称が「くん」だったか「さん」だったか呼び捨てだったかも定かではないけれど、こういう紹介をされた気がする。場所も紹介もすっごく曖昧なんだけど、自分がした質問だけは今も覚えている。
「コロコロ派ですか?ボンボン派ですか?」
「どっちも読んでましたけど、ボンボン派です」
「ジャンプとマガジンは?」
「マガジンです」

仲良くなれる気がした(僕や下川氏が読んでいた頃、95〜00年あたりのボンボンというのはサイコーに狂っていて、特に『新・女神転生デビルチルドレン』の狂い方といったら、僕と下川氏が揃って単行本巻末の読者投稿イラストまで記憶していたほどのショックがあったのでした。マガジンもラブコメの比率が異様に高く、今の認知のされ方を考えたら納得なんだけど、当時はマイナーな作家だったといっていい久保ミツロウ氏の『3・3・7ビョーシ!』などは、時代性も相まって「セカイ系終焉後の『シティ感』」みたいな物が溢れておりました)。

デビチルの話をしたりエヴァの話をしたりと、盛り上がった記憶がある。この出会いの後も数度の邂逅のたびに僕らは好きなマンガの話を今に至るまでし続けているので、この日に話題に上がった作品をすべて列挙することはできないけれど、少なくともヒゲメガネを置いてけぼりにしたのは確実だ。ついでに言うと先日この3人で飲んだ時も、同じような置いてけぼりをやってしまったので、この3人でいるとおしゃべりヒゲメガネ乳首のおしゃべりターンが少ないことがわかる(いつも申し訳ないとは思っている)。

実は、この日のライブ自体はあんまり覚えていないのだ。ブライアン新世界がライブ終わった後に「また会おうぜ!」って言ってからなぜかベースアンプの後ろに隠れて、数秒後何事もないかのように舞台袖にはけていった、ということしか覚えていない。

そして次に彼らを見たのはこの6日後、閃光ライオットのファイナリストが集った国際展示場だった。
ちなみにこの日、ズットズレテルズは調子が悪かった。というより、ファンキーでインドアなグルーヴを起こす彼らの音楽は、青空の下、野外ステージとはあまりにも親和性が低すぎた。
でも、同じように親和性が低そうな挫・人間のステージは、しかし見る人の、少なくとも僕の心を打っていった。今でも覚えている。訛の抜けない日本語でたどたどしく話す下川氏が、「やろうじゃないか、君たち大馬鹿者の歌だよ」と言って始めた「土曜日の俺はちょっと違う」が忘れられないのだ。
2009年8月8日の土曜日は、誰にとっても彼にとっても僕にとってもありふれた土曜日であったけれどしかし、それでもそれを、その日の自分を「ちょっと違う」と歌う太った小柄な男が、とても素直で、何かが憐れで、でもそれを憐れむことができないほど、美しかったのだ。

この後、ヒゲメガネの「東京来ちゃいなよ!俺と同じ大学行こうぜ」というような誘いに乗った下川氏は上京、肝心のヒゲメガネが先に大学を中退、取り残された下川氏はそれでも大学を卒業して、今も東京で挫・人間を続けている。ヒゲメガネは酷いやつだな。

そんなわけで、私と下川氏、ひいては挫・人間とのおつきあいはここから始まったのでした。東京に来た下川氏は、抜けていくバンドメンバーに四苦八苦しながらそれでもなんとか挫・人間を構築し続け、ファンもどんどん増えていった。僕にとっては漫画の話ができる数少ないお友達で、このタイミングで出会えて本当に良かったな、と今でも思います。あの頃。大学に絶望しながら、エヴァ滝本竜彦の話をして、漫画を読んでいた、僕らのあの頃は、今となっても苦虫を噛み潰すような体験の中にある僅かな幸い、地獄の幸いだったと思います。

最後に、改めて。
人間、頭からペットボトルなんて出ないし、土曜日もだいたいいつもと同じだし、人生プレイステーションやってるだけではどうにもならないことは、他ならぬ彼自身が証明しているのでありまして、それでも誰かが彼らのステージを見ることで、そんな当たり前の日々の中に何かを見るなら、それは誰かの救いになるかもしれないし、そんな救いがはじめにあって、そこから誰かの人生が好転するなら、それは幸いにほかならないと、いつも思っています。

 

挫・人間聴いてない人は、アマゾンで買えるから買おうね!

細かい音源は拾わず、曲数の多いやつを下記にまとめてみた。

 

『苺苺苺苺苺』

2013年6月発売のファースト・フルアルバム。

手に入る音源で最も古いのが多分これ。「人類」「タマミちゃん」から「天国」「式日」へと、個人的なテーマが連鎖して生まれたアルバムだったのだろうなと、今聞いて思う。ちなみにこのアルバムのamazon商品紹介は必読。書いてる人絶対めっちゃ困ってるから。

 

『テレポート・ミュージック』
2015年8月発売のセカンド・フルアルバム。
バンドの名前である「挫・人間」に偽りのないくじけ方は聴いてて清々しい。自身の人生や、掲げたテーマに向き合う辛さがタイトルを歪めていくことで、「コミックバンドなの?」と思わせるような曲名が続くけれど、そこでいきなり「十月の月」のような曲を入れてくるところに、挫・人間の恐ろしさがある。
 

『非現実派宣言』

2016年9月発売のミニアルバム。

「宣言」というのは生まれた以上、表明するしか無いんですよね。山本直樹「レッド」とか読んでてもそうでした。非現実派宣言を打ち立てた彼らの「☆君☆と☆メ☆タ☆モ☆る☆」を聞かされて、その後「愛想笑いはあとにして」を聴いたときに喰らう圧倒的な「置いてけぼり感」を是非体験してほしい。

 『もょもと

2017年10月発売のサード・フルアルバム。

「復活」した彼らがリビルドし、音も詩もネクストステージに至った、最新式の挫・人間が見える1枚。本当に格好いいし、最後の1曲がファースト・シングルからの引用なの、泣いちゃう。過去の自分やこれまでの道のりを肯定できる力、力づくで過去の正しさを証明してしまう強さがある。前述の『テレポート・ミュージック』と今作の間に『非現実派宣言』があることに、強く納得させられてしまう。

 

 

 

気になったらCDを買おう。そうやって後悔を減らそうよ。そして、CD聴いたら、これまでの不幸せを全部持って挫・人間のライブに行こう。何にも解決しないけどそれでいい。

2009年の思い出 第1話 挫・人間と出会う前。

昔から文化史が好きだ。人が何かを作った際に起きた事象を、当事者たちが後から振り返って書いた本などが好きで、そこには、僕が絶対に体験できない過去の熱狂が保存されている。
その熱狂は、当事者からすれば意外となんでもないことであったりして、例えばお酒の席とかで、年上の人の口から驚愕の過去が語られたときにも、その人は意外と飄々としてたりする。
自身が当事者であればあるほど、過去の何でもない会話は忘れてしまうものだけれど、僕が過去にした何でもない会話が、誰かにとって価値あるものなのかもしれないと思うと、それを少しでも保存したい、記憶を記録にとどめたい、という気持ちが、特にここ数年、年々強くなってきた。

だからいくつかの思い出話を、ここに書こうと思う。
本当に書きたいメインストーリーは、公開時に関係各所に確認を取る必要がありそうなのと、今日1日では書ききれない大きな物語になってしまいそうなので、まずは今も深い交友の続く、大切な友人との出会いの話を。

 

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2009年7月1日。当時大学1年生だった僕は、演劇学科に入ったことを心底後悔し、全く学校に行かず、ボケっとゲームなどをして過ごしていた。
その半年前などは、友人のバンドがライブをするのについて行って、ライブ写真を撮ったりしていたのだが、この年、色んな理由で写真を撮ることも出来ず、本当にボケっとしていたのだ。

ボケッとしていたら電話が鳴った。
「『閃光ライオット』ってオーディション企画で組んだバンドがあって、ライブハウスで録音してるんだけど、来ない?」と、たしかそんなような連絡だった気がする。電話をかけてきた友人は、その企画バンドで「スコポン」という名前でドラムを叩いていた。

クソダサい名前のオーディションだなあ、なんて思いながら向かった新宿紅布。
紅布に着くと同級生が数人いて、Macで『閃光ライオット』のWEBサイトを見ていた。
数回の選考を経てファイナリストに選ばれたバンドは、東京ビックサイトの屋外展示場でライブをできる、という触れ込み。そしてその日、ファイリストの公開が数日後に迫っていた。
で、このWEBサイト更新者がヌケサクだったのか、実は公開日の前にWEBサイトが更新されており、動線がないだけで、URLを直に叩けばアクセスできる状態になっていた。見込みのあるバンド名をローマ字にして、ドメインの最後に挿入してリターンキーを押すと「ファイナリスト確定!」的なページに飛ぶのだ。マジでヌケサク。そして、この企画にエントリーしている数々のバンドの中でも、スコポン氏イチオシのバンドがあり、彼らの名前をローマ字にして打ち込んだとき、スコポンは嬉しそうに声を上げた。
ここで僕は初めて、そのバンドの名前を知った。

「お、『挫・人間』残ってる!」

ズットズレテルズではなく、挫・人間の話です。


僕がスコポンから聞いたのは、
「『挫・人間』というバンドが熊本に居て、僕らの一つ下の学年、つまり高校3年生のバンドなのだが、クソオタクでボーカルのデブがヤバい」というような情報だったと思う。

当時ズレテルズのメンバーは皆、挫・人間に注目しており、挫・人間がファイナリストに残ったことを喜んでいた。その後、スコポンは挫・人間となんとかしてコンタクトを取りたいと思い、mixiで連絡したのだ。
「閃光でやるライブの1週間前に、閃光に出てる人たち集めて下北でライブやろうと思ってるんだけど、来ない?」というような内容だったはずだ。
ファイナリストには、閃光ライオット側から交通費やホテルが用意されるのだが、もちろん1週間前に来たバンドにそんな待遇はしてくれないので、熊本のバンドが東京に前乗りする場合、住む場所を確保する必要がある。どう考えても高校3年生の挫・人間にはハードルが高い。送ったスコポンはバカだと思った。
でも多分、挫・人間の下川というボーカルもバカだったんだと思う。8月、挫・人間は東京に来た。1週間前乗りで。
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もっと簡単に書こうと思ったんだけれど、頭から書いたら意外と長くなっちゃったので、今日はここまで。マイペースに連載します。

ピンクから水色へ(「夏の魔物 2017」の感想とレポ<後編>)

ギターウルフの演奏中、プロレスリングに靖子ちゃんのステージが作られていた。ど真ん中でやるという予想が当たり、完全にベストポジションで靖子ちゃんを見られることにワクワクしながら靖子ちゃんの登場を待つ。

ミッドナイト清純異性交遊のオケと共にリングに登場するのは、大森靖子…ではなくピンクのセーラーを着た塚本舞(まいぷに)。見てる時わからなかったけど後で調べたら知ってた、グラドル自撮り部の人だ…!
後ろを振り返ると「超魔物」の旗を振る大森靖子がやってくる。客の間を割り、リングロープを割り、リングに立った靖子ちゃんはまず、まいぷにとディープキス。セルフカバーだと思った。
靖子ちゃんはアイドルをリスペクトしているし、だからこそこの歌を歌うし、僕も、この歌を聞いている時は、靖子ちゃんをアイドルの地平に送りたいと思って手を振るのだけれど、その次にIDOL SONGやるの、批評性が高すぎてズルい。
まいぷには退場、アコギに持ち替えた靖子ちゃん、久々に弾き語りが見られて嬉しい。マジックミラーで感情を高ぶらせ、PINKで爆発した心からの言葉が胸を打つ。

モテたいモテたい女子力ピンクと
ゆめゆめかわいいピンク色が
どうして一緒じゃないのよ あーあ
汚されるための清純じゃないわ
ピンクは見せられない
あたしのゆめは
君が蹴散らしたブサイクでボロボロのLIFEを
かき集めて大きな鏡を作ること
君がつくった美しい世界をみせてあげる
大森靖子「マジックミラー」

ピンク色の丸をくれ
ピンク色の三角をくれ
私が少女になれるようにピンク色をくれ

ピンク色で花まるな
ピンク色のハートを見せてよ
私が少女でいるためにはみんなが優しいことが必要だよ
大森靖子「PINK」


弾き語り音楽表現の閾値を超えたPINKが響く。
間奏の途中、ギターを弾くのをやめ、マイクを手に持った大森靖子が、泣きながら叫んだ言葉に、僕も泣いてしまった。
「心底、不甲斐なくてやるせなくて…………あの、不甲斐ないこととかやるせないこととかって、言わないととっくに売れてるんですよ私は! 夏の魔物のヘッドライナーやってる場合じゃないんですよほんとは!Twitterやらないとあと10倍売れているんですよ私は!」

「それでも! 私はこのフェスに来てしまうようなあなたたちの生活を、呪いを、私の生活も呪いも、大切に大切に!一つも!余すことなく!歌いたいんだ! 」

「本当にこんなのですみませんけど、売れなくてもいいから全然(売れたいけどMステとかも出たいけどほんとは)売れなくても別にいいから!私は私の音楽をやりたいんです!」
その後、「ここの夜景を思い浮かべて書いた曲です」と「TOKYO BLACK HOLE」を歌う。
「私の汚い顔見なくてもいいから、夜景でも見て、聞いてください」って、そう言った大森靖子が美しかった。

HELLO HATE
僕が死ねばいいと願った奴は一人残らずいつか必ず死ぬだろう 忘れるさ
最初から希望とか歌っておけばよかったわ
忘れたわ
愛さない認めない変わらないほうが失くさない 輝きは特別は青春は剥がれていく ボロボロになっていく 神様になっていく君が 透明な銃 放つ自由
時がきた今
大森靖子「TOKYO BLACK HOLE」

歌詞が素晴らしすぎてもう段々とこの文章を書いている意味のなさに喰らってきた。
一人リングに立ち、自身がリングで歌うことの意味を、「リングとは、プロレスとは、こういうものを誠実に吐き出していい場所だ、と捉えている」と語る。
「本当の戦いでしょう、だって、プロレスだって、私だって、歌詞だって、音楽だって、みんなの人生だって。だから逃げちゃダメだと思うんだよね」
「いっぱい連絡してください。私、DM解放してるんで、いっぱいやりとりしてください。これからもみんなの生活とおんなじ、おんなじ位置で一生やっていくので私は」

MC後、続けて歌われた「君と映画」「デートはやめよう」「絶対彼女」には、大森靖子のピンク色の呪いが、祈りが、誠実に吐き出されていたように思う。

昨日ちょっと泣いちゃったから
今日は誰にも会いたくないな
パンのジャムも服についちゃって
あーあ、おんなのこってむずかしい
いつも元気なんてむりだもん
でも新しいワンピでテンションあげて
一生無双モードで頑張るよ
君もかわいく生きててね

絶対女の子 絶対女の子がいいな
絶対 絶対 絶対 絶対 彼女
大森靖子「絶対彼女」

最後は舞台を降りて歌った靖子ちゃん。
「みんなの近くに行きたい!みんなの近くで歌いたい。ワイヤレスマイクある?フラフラ歌います」
「最近気づいたんですけど、あの、ギター私のこと拡張してくれてるんじゃなくて、これ拘束具だって気づいて。シールドあるし。ワイヤレスマイクが一番、拡張だね。 みんなのとこに行きながら歌いたいと思います」


追いかけて バカみたい
ベンチの二人がひらく青春
私との夢のつづきなら
笑いに行くわよ はやくお逃げなさい

あなたは正しい それでもやっぱり
私だって正しい
そんな喧嘩もできなくなるの
春なんて来なければいい

生きている 生きてゆく
生きてきた 愛はただれて
この体を阻んで行く
呪いは水色

生きている 生きてゆく
生きてきた 愛の隣で
私たちはいつか死ぬのよ
夜を越えても

夜を越えても
大森靖子「呪いは水色」

川崎にて最後の1歩
この海にて泣きのあと1曲
わからないなら死ねばいい
わたしはまだ歩ける
大森靖子「さようなら(夏の魔物2017ver.)

観客のど真ん中、「呪いは水色」と「さようなら」をアカペラで歌い、最後に、「ありがとうございました!」と叫んでライブは終了。

靖子ちゃんがファンの気持ちといっしょになって音楽を続けていく、その覚悟や祈りがダイナミックに注がれたライブだった。自主盤時代の「PINK」から解き放たれた言葉が、「呪いは水色」に還っていくような情景が浮かぶセットリスト。夜の川崎、真っ黒な海に、彼女のむき出しの感情が響くその有様を、目撃できてよかったです。

 

大森靖子 at 夏の魔物2017年9月10日

https://youtu.be/nVwk1S4c5vE

「夏の魔物 2017」の感想とレポ<前編>

 

秋葉原サイファー主催いーえっく氏に誘われて、夏の魔物2017 in KAWASAKIに行ってきました。見たい人もそこそこいたし、フェス初めてだったので人に誘われて行けるのはありがたかった。母親もチケット取ってたんだけど、直前で行けなくなったので友人、スバル君にチケットを渡して3人で行ってきた。

川崎駅でスバルと合流、11時からの上坂すみれスタート。初めて生で見る上坂嬢、超かわいくてびびった。確か同い年なんだけど、学校にいたら情念で直視できないと思う。舞台に立ってくれて嬉しい。美人を直視できることは幸いであるからこそ、美しい女性が舞台に立つ仕事を選んだことにいつも感謝している。ちゃんと曲を聞いたのも初めてだったのだが、すごくコンセプチュアルで楽しい曲が多くてよかった。最後に歌った「げんし、女子は、たいようだった。」→「七つの海よりキミの海」は特に素晴らしく、野外でこの歌を聴いていることに頭がチカチカした。

https://youtu.be/DtJUzndPK6c

げんし、女子は、たいようだった。/上坂すみれ

 

上坂すみれ終了後いーえっく氏と合流して、The夏の魔物で踊る鏡るびい嬢を横目に歩く。レンズ入ってないけどメガネはかける、へそ見えてるのにタイツは履く、ガチャガチャ感が良い。大槻ケンヂ登場まで休憩。 青空で歌う大槻ケンヂすごい。すでに無敵。踊るダメ人間でばってん作ってジャンプしてるあたりで、「フェスはセトリが最適化されてて全員無敵なのでは」ということに気づく。このアクトが終わった後、渋谷の鬱フェスに出たという大槻ケンヂ。強い。

 

スバルの一押しでSCOOBIE DOを見るため移動。ピンクのステージは終始やばいやつしか出てなかった。 SCOOBIE DOめっちゃうまい。サウンドチェックの段階で演奏技術がぶっちぎっている。歌も格好いい。もっと見たかったのだけれど、少し隔離されたステージでROLLYの出番が迫っていたので移動。

 

この前後、いーえっく氏は夏の魔物名物らしい焼きホタテ列に並ぶ。ピンクのステージ横に作られたホタテブースはまごうことなき今回の最大手、シャッター列になっていた。 ROLLY生で見るの絶対面白いと思ったんだけど完全に正しかった。The MANJI、全員演奏がヤバい。さっきからそれしか書いてないけど演奏がヤバい奴ばっかり選んで見てるから仕方がない。超絶技巧持ってるおじさん達が集まって、肩の力抜いてバンドやってるのって、いいよなぁと思った。

 

ROLLYが終わった後でメイン会場に戻ると、戸川純with Vampilliaがピンクのステージに立っていた。ヴァイオリン、絶叫、純ちゃんの奇天烈な声が、ホタテ香のする空気を震わせる。ホタテに並びながら「夏の魔物より魔物」「幻影旅団より旅団」「バケモノ」「最強」など好き勝手言いまくる。

 

スバルといーえっくさんはホタテに並んでいたので、僕は一人喫煙所に行った。すると白いステージから重いキックと共に聞いたことのある声。 「取り残された 俺はだせえよ」 「十 ゼロぐらい不利だぜ 皆も言うよ 無理だね」 見る予定はなかった般若を目撃した。これが予想以上にすごい。炎天下の中、狂乱と祝祭の色濃い空気に響く重いトラックと般若の不器用な声が調和して、勝手に感激した。めっちゃよかった。「感動」って、脳に響いた感情の整理がつかないまま身体にその影響がフィードバックすることだと思うんですけど、一言で言うと聞くだけでブチ上がってしまった。4つ打ち韻踏みヒップホップ最高〜! と言う感じ。その横ではホタテの香りに包まれた戸川純が諦念プシガンガを歌っている状況、祈りという言葉だけを御旗に集った異種宗教戦争の観戦者になったような気持ちが、閾値をとうに超えて最後無常を会得したような状態になって見つめてしまった。

 

いーえっくさんが1時間並んでくれたホタテを食べるために離脱。芝生でビールを飲みながら食べるホタテ、めっちゃうまい。4個300円という価格破壊。 ホタテを食べているとさっき般若が歌っていたステージから妖怪のMCバトルのような音がするので振り返ったら人間椅子が演奏してた。今は本当に2017年なのか? ホタテを食べながら野外で人間椅子を見る。平和の横に狂騒。

 

ホタテを食べたらスバル一押しのクリトリック・リスを見る。「パンツ一丁のハゲたおっさんが、自作のトラックに歌を乗せ、股間に着いたシンセサイザーを鳴らす」と聞いていたのだが全く理解が追いつかず、生で見たら全てその通りだったので世の中にはまだ知らないことがたくさんあると痛感した。 クリトリック・リスは出番が前に倒れてて、サウンドチェックがかなり長い時間とられていた。その時間を利用して客席に配られた紙コップ。振る舞いで鬼殺しが注がれていく。楽しい酒相撲の歌で盛り上がったかと思えば突如、「サラリーマンを辞めて歌う今、不意に思い出す1989年」の歌を歌い始めたのだがこれが強い。パンツ一丁なことすらリアルで格好良く見えてしまう。疾走感あるトラックに乗せて何度も叫ぶ哀愁に、泣きの単旋律を響かせる股間のシンセ。 その後は20分よさこいを歌って担がれて帰って行ったらしい。お騒がせの神様だ。

 

中村一義を見に行く。中高生の頃、友人と聞いた中村一義100sのOZ、2005年ってマジか。そんな懐かしい気持ちで中村一義の登場を待つ。出て来た中村一義の歌、楽器隊の演奏も素晴らしく、客の盛り上がりも上々、どれも素晴らしいアクトだったのだが、陽のパワーが強すぎていたたまれない気持ちになってしまい15分で離脱。こんなにインティライミ値の高い人だと思わなかった。中村一義は何も悪くない。これは俺が悪い。

 

 

中村一義のパンチを反芻して少し休み、BILLIE IDLEを見にいく。 運良くほぼ最前列で見ることができたのだが、先ほどクリトリック・リスが歌っていたこの会場、とにかく狭い。4人が所狭しと動き回るには全く足りないステージだった。そして客の量も想像以上。「MY WAY」→「be-bop tu-tu」の流れで会場が動く動く。反響のない環境だからか、ヒラノ氏のコーラスワークが綺麗に聞こえて嬉しかった。持ち時間も少ない中、ほとんどMCをやらずに曲をバシッと決めるスタイルがタイトで良い。後ろの人たちには全く見えないであろうステージを気にしてか、途中、ファーストサマーウイカ氏が柵の上に登り、メンバーもそれに続く。 「BYE-BYE」を歌いながら、青空のもと、柵の上で「BILLIE IDLEは止まりません!」と叫ぶウイカ氏がめちゃめちゃ美しかった。もっとデカい会場で見てえ。

https://youtu.be/P-JJIb_3cwM
BILLIE IDLE® - "MY WAY"

 

その後、スチャダラパーを見る。空が段々と夕に近づく、海風の吹くステージをゆっくりと揺らすスチャダラパー、まずロケーションとシチュエーションが強すぎた。フェスにスチャダラパー、最強。GET UP AND DANCEを聞いて思ったことはBOSEくん死ぬほど上手えなという、ものすごい当たり前の感想でした。

 

スチャを途中まで見たのち、Madison book girlを見る。ブクガを屋外で見る、と言うのが初めてだったのでとても楽しみにしていた。 会場上手側の2列目に入れたのだが、和田輪氏の目の前で私歓喜。 もう夜に差し掛かる会場で、逆光の照明に照らされたブクガが美しい。 rooms→Cloudy Irony→karma→faithlessnessという最適化されたセトリも最高で。月見ルで最前列って、なんかガチの人たくさんいて近づけないんですけど、今回はすっごい近くでダンスを見ることができて嬉しかった。 いーえっく氏に「Cloudy Ironyのサビで前蹴りをした後ぴょんぴょん飛ぶ和田輪氏が可愛格好いいから見て欲しい」と言っていたのだが、この日の前蹴り、今まで見ていたものより殺意が高くてびびった。かっこいい。faithlessnessのトランペット吹くダンスが始まった時、好きすぎて「ふわっす」って声出た。 ビリーもブクガも、時間の少ない中、MCを最低限にして、曲をバシバシ続けるスタイルに勢いがあって、とてもよかった。

https://youtu.be/bY00a8cm6Oo

Maison book girl / cloudy irony

 

ブクガを見たのち、ピンクのステージで歌う町田町蔵を横目に、メインステージに向かう。 メインステージは上手にレッド、真ん中にあるプロレスリングがイエロー、下手にホワイト、という配置。最後はZAZEN BOYS(下手)→BiS(中央)→ギターウルフ(上手)→大森靖子(3ステージすべて) という記載があった。全部見たいし、靖子ちゃんは絶対前で見たいと思ったので、ZAZENの段階でステージ中央の上手側最前列を確保。

 

リング越しに見るZAZEN BOYS、拍の取れない難解な変拍子と完璧な演奏、に不釣り合いにキラッキラしたテレキャスの音が異次元。MCで必ず言う「MATSURI STUDIOからきましたZAZEN BOYSです」には、「繰り返される諸行無常ってこれか!」と思いました。上手すぎ。

 

続いてステージ中央ではBiSのアクトが始まる。プロレスリングは3面舞台に使えるから、いろんな子たちが目まぐるしく動くのにはすごく良いと思う。最前列にいたから会場の熱気もすごくて、最後の曲ではオタクが詰め寄った結果上手側の柵が倒れてしまい、一瞬オタクの巨大ミルフィーユが形成されていた。柵はぐにゃりと歪んでいた。俺とスバルは「明日は我が身」という気持ちで自分の目の前の柵を死守していた。最後の曲で本当に良かったと思う。

 

上手でギターウルフが演奏している間に柵は補修されていた。ギターウルフはもう、バカで、うるさくて、とんでもない。ファイヤー!バコーン!うぉー!って感じだった。MCも歌詞もバカだった。フェスにふさわしい音圧の狂乱。夏の魔物、昼から夜、何時に出てきても最高だったと思う。ギターウルフはリフだけで戦っているから曲の区別がつかない。超褒めてる。

 

大森靖子のアクトについては興奮して歌詞も引用している結果、文章がめっちゃ長くなったので、続けて別の記事で書きます。