白石/hitodama128/コースの雑記

白石倖介(ひとだま128)(コース)の雑記です。Tech・まんが・毎月のまとめなどを書きます。お仕事依頼はメールをください(記事を書いたり、編集したり、写真を撮影したりできます)Mail:hitodama128 at icloud.com

9月のわたし

 カレンダーに細かく予定を記す癖がないため、月を振り返るのが意外と大変。でも、月のまとめぐらい書かないと、時間はどんどん過ぎていくことも痛感している。
 9月上旬のことはここに。

hitodama128.hatenablog.jp

9/1 水樹奈々 Live Island 2018@メットライフドーム西武ドーム
9/2 相対性理論『変数I』@六本木EX THEATER
9/8 萩尾望都SF原画展@群馬・高崎市美術館

9/10 しゅざい・さつえい
→詳細はここに。

hitodama128.hatenablog.jp

9/14 Apple Watch発表 
→記事書きました。

realsound.jp

 

9/18 bmg Vol.1@渋谷WWW
 素晴らしいライブでした。今後も、BILLIE IDLE®とMaison book girlを同時に見られる機会は狙って見に行きたいです。

9/19 しゅざい
→記事化されました

realsound.jp

 大変面白いイベントでした。前半はAIの仕組みや現在の状況についてプレゼンが行われ、後半ではソニーの手がけるAIxキャラクタービジネスの最新事情を濃密に語っていただき、まさに最新AI事情、という感じ。勉強になった。
 個人的には、同イベント内で三宅氏が語った「日本ほどキャラクター文化を受容する国はない」という言葉は、「日本ほど人のロールを気にする国はない」という意味にも取れるな、と考えている。コンビニ店員とか特にわかりやすい例で、我々は全国どこのコンビニに行っても店員が同じ対応をすることに違和感を感じない。それはつまり店員の「ロール」を見ているからで、つまり日本での社会生活において人々は「演じること」を求められ続けているということなのでは? と思った。それは「ペルソナ」であり、そして広義には「キャラクター」とも言えるのではないか?と。キャラクターをこの目線で捉えると、VTuberとかメディアに対しての自身の認識もいろいろストンと落ちるところがあった。

 

9/20~23 東京ゲームショウ(しゅざい)
ゲームショウの記事、この間やっと書き上げたんですけど、ものすごい大変だったぜ。

9/24 丸屋九兵衛トークイベント「Soul Food Assassins x Q-B-CONTINUED」
丸屋さんのイベントは毎回最高なので、「多様性」という言葉に1度でも寄る辺を感じたことのある人は絶対に行ってほしい。僕らは開け放たれたダイバーシティの中で生きている。

9/25 しゅざい →原稿を書きます、ちょっと待ってて下さい。

9/28~10/1 弾丸台北旅行
原稿残ってるのに台湾行ったバカです。秋葉原サイファー主催のいーえっく氏と3泊4日の台湾旅行。ちなみに前日急に仕事をいただき、しかも特急案件だったため、一睡もせずに成田へ。途中成田エクスプレスを1本逃したりしたものの、概ね問題なく、というか旅行はすべて全く問題なく進み、最高の思い出になりました。これは仕事が一段落したら、写真も交えたレポなど書きたいと思っています。

 

9月はそんな感じでした。今後やりたいこと書いておきます。

・台湾旅行レポ

→前述の通り、たくさんステキな体験をしたので。

・プロフィール作成

→記事を読んでくれた人などが「こいつ誰?何者?」ってなっちゃうのを避けるためにいい感じのプロフィールが欲しいんですが、自己紹介が下手なのと、意味不明な活動をいくつかしており、加えて交友関係も謎なので、自分が何者なのかを説明するのが大変で、そういうわけで「著者プロフィール」に困っています。だったらいっそ「自分がインタビュイーになって誰かにインタビューしてもらい、それを抜粋してプロフィールにする」というのが、僕を紹介する手っ取り早い方法なんじゃないか、と思っています。いないと思うんですけど、もし僕にインタビューしたい人がいたら教えて下さい(インタビューor書き仕事の経験ある人が嬉しいです)。

 

・「発達障害とテクノロジー」について序文を書く

→「『発達障害』という言葉が多くの誤解をはらんだまま流布・拡大し、当事者たちはただひたすらにウザいし困っている」という状態が現状だと思うので、当事者たちがそれと戦うときに寄る辺にできるようなインタビュー企画をやりたいんです。その前段として書くべき文章があるので、いずれ書きたい。

 

仕事がちまちま忙しくなってきたので、いつ実現できるかわからないですが、いずれもできれば今年中にやりたいですね……。

伝播する至近未来を夢見て

8月から進めていた企画が、記事化されました。

 

kai-you.net


 ニューエイジ・ポップ・ユニットMaison book girlのメンバー・和田輪さんの「個人VTuber活動」について取材しました。主観と客観・実存と虚像の間で彼女が考えていることの格好良さ、面白さが多くの人に伝わることを願って、取材記事を書きました。

 記事公開後、嬉しかったことはたくさんあるのだけれど、エピソードをひとつだけ。
「インタビューの一言目」についての話。今回のインタビューの一言目は、こうでした。

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 インタビューって、わかりやすくするために構成段階で話の順序を組み替えたりするものだけれど、僕はこの冒頭だけは変えたくなかった。その後の話にも続く文脈として強い意味があると思ったから。それに、「MOSAIC.WAVを知らない和田さんのファン」がこのインタビューを読んで、MOSAIC.WAVにも興味を持ってくれたら、それは幸いの連鎖だと思うし、その連鎖を起こしたかった。編集のふじきさんには「難しすぎる」って言われて、それもそのとおりだから何度も話をしたけれど、最終的にふじきさんもイキママで通してくれた。
 だから、記事公開後こんな事が起きて、僕は本当に嬉しかった。

 

 MOSAIC.WAVの柏森さんに記事が届いて、本当に嬉しかった。MOSAIC.WAVのファンにも、Maison book girlのファンにも、和田さんのファンにも、ワダさんのファンにも、伝播して、連鎖して、この記事が読まれて、どこかで(インターネットがそう振る舞うように)つながってほしい。

めがねでねっ!

めがねでねっ!

 
キミは何テラバイト?

キミは何テラバイト?

 

MOSAIC.WAVAmazon Musicを始め多くの定額制音楽サービスで配信されています。ぜひ、聞いてください……。

 

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 8/12の夜に彼女の初配信を見て、「とんでもないものを目撃してしまった」「この事象を多くの人に伝えたい」という思いから、以前Twitterで知り合った編集者である(あとで聞いたら知り合いでも何でも無かったんだけど同い年で意気投合した)KAI-YOUのふじきさんに即DMを送ったのが14日。企画が通って記事化の運びとなりました。初めて自分で企画立てて、インタビュー・文・撮影・作図を全部やった記事です。
 常に一番輝くべきはコンテンツで、執筆や編集の仕事は「コンテンツをどんな切り口でどう見せれば一番輝くのか?」「多くの人に届く最適解はどれだ?」というところにあると思う。僕には雑誌(紙)の編集経験しか無いので、必然初稿はそういう構成になってしまい、ふじきさんから構成に大きなダメ出しが入り、さらには「コースさん本当にこれが書きたかったの?」と言われ、大幅な構成変更を行いました(その結果が「特別ふろく」になっているところがおもしろポイントです)。ふじきさんがWebに最適化されたサイコーの編集をしてくれたので、超勉強になりました。ありがとう。

 ちなみに、一番がんばったのは専門外の作図です。ラフ描いてデザイナーさんにお願いすることはあっても、作図全部1からやるのは初めてだったので大変でした。いらすとやさんに超感謝しています。「いらすとや和田輪さん」はもちろんですが、特にイヤフォンの切り貼りをがんばりました。

 ・編集前

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・編集後

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 過去演劇を学んでいた僕も、高校生の時から毎年「文化庁メディア芸術祭」の展示に足を運ぶ僕も、Apple専門誌で編集をやっていた僕も、中学生の頃から今に至るまでMOSAIC.WAVを聞きながら秋葉原に通う僕も、全部ぶつけた企画です。ぜひ読んでください。
 ちなみに、「VTuberの実在性」については以前こういう記事も書いています(mixiニュースに載ったのが、めっちゃ嬉しかった)。和田さんのインタビューが面白かった人には、ぜひこの記事も読んでほしいです。

realsound.jp

何かを解き明かしたいという気持ち

 何かを解き明かしたいという気持ちに気づいたとき、身体が震えてしまう。多分体温も上がっていて、走る気持ちを抑えて、自身がその中心に向かっていくための筋道を信じたくなる。解き明かせるのかはわからないけれど、視界の全てが真っ暗な世界の中心に、少しだけ明かりが差して、薄っすらと照らされた道がわずかに見えるような、そんな瞬間に足をひっかけて、歩き出す。光の向こうへたどり着けるのか、という不安は常にあるけれど、歩き出せるという喜びは身体を高揚させ、目を凝らすのも辛くない。視力が高くなったような気持ちで、次の筋道を探してその暗闇をじっ、と見る。
 何かを解き明かしたいという気持ちを辿っていると、その道程が中腹に差し掛かる辺りで不安が大きくなってくる。
本当に解き明かせているのか? ー袋小路なことも、ある。
本当にこの道で正しかったのか? ー間違っていることも、ある。
 けれど、そこまで歩いたことで、一つ間違った道を知れたことは、絶対に無駄ではないのだ。なぜなら、その瞬間に一つ何かを解き明かしているからだ。 
 そうやって、右往左往しながら、光の方へと向かっていくことが、”言葉”になると僕は嬉しい。書きたいと思う。話したいと思う。”言葉”は文化遺伝子の伝送経路であり、人はずっとそれを受け継いできた。その連綿と続く道のりに無駄なんて一つもなかったのだと信じてしまうのは、それが何かを解き明かし続けてきたからだ。
 LogosとMediumがMemeに至る、その時間の先端で、今日も僕らが誤解や矛盾に苦しみながら、欠陥だらけの言葉で、それでも思いを伝え合うのって、ひとえに、何かを解き明かしたいからだと思います。

8月末から9月上旬のわたし

 8月末に"フリーライターになります宣言”をしたら、超ありがたいことに音速で仕事をいただいたので、それを倒していたら9月も中頃になってきた。いきなり仕事を始めたら、時の流れが超早くて笑っちゃう。
 8月末~9月頭にかけてライブをいきなり3本見ることになった。

8/31 輝夜VRライブビューイング@新宿バルト9
 超楽しんでたけど取材の仕事でした。オープニングSEがすっごい平沢進っぽくて笑ってしまった。確かにインタラクティブライブの始祖なので、文脈としてスゴく正しい。

9/1 水樹奈々 Live Island 2018@メットライフドーム西武ドーム
 いいライブだった。年始ぶりに水樹奈々を見たが、毎回本当にライブがいい。喉からCD音源でアホみたいなbpmの曲を走りながら歌うので、もう、面白い。最高。

9/2 相対性理論『変数I』@六本木EX THEATER
 相対性理論のベーシストが中高の同級生で古い友達なのだが、待ち合わせが壊滅的に苦手な友人で(世の中にはそういう苦手もあるのだ)、なのでここ数年、彼と会うのは相対性理論か、Open Reel Ensembleのライブ後と決まっている。
 数年間、年に1度ぐらいのペースで相対性理論のライブを見ているけれど、この日見たライブが一番好きなライブだった。張り詰めていく演奏に突き抜けた声、フューチャー感の強い照明演出に対して、意外なまでに愚直な楽器の音。めちゃめちゃ良かった。

 

 そこからいくつかの原稿を書いてたら、急遽、取材で人物撮影をする必要に迫られてしまい、慌てふためいてとりあえず激安ストロボを買った。

  フルマニュアル発光だけどシンプルだし、超安いので、はじめてのストロボとして正しい選択肢だった。そして、他人の力を借りてでも最高の結果を出したかったので、 秋葉原サイファー主催・いーえっくさんに最高のレンズを借りた。

 黒川マイコン地区の誇り、シグマ(本当にこういう名前の地区に本社がある)のArt 50mm単焦点。こんなにデカいのに単焦点。10万円。Eマウントの単焦点に悩んだらこのデカくて重いアホレンズを迷わずに買え! 最高の写りで思わず笑っちゃうぞ!

 ストロボを用いた撮影の練習期間はわずか1日。

 だけど土曜日、萩尾望都SF原画展が群馬でやっていて、もうすぐ会期が終わってしまうということだったので下川と行ってきた。上野駅からはるばる鈍行で群馬・高崎へ。

 萩尾望都SF原画展は、昨年吉祥寺でやってたやつには行ったのだが、その後全国を回っており、今回の展示では吉祥寺になかった原画も見られるということで再度行った。激烈に感動してしまった。

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 「あそび玉」は原稿を紛失しており、第2期作品集への掲載時にゲラ刷りにホワイトを塗って修正原稿を作っているのだが、この修正が本当に凄まじい。何度見ても息を止めてしまう。
そして、展示のキュレーションが最高。時系列順に並んだ作品たちは、萩尾望都の宇宙が時代とともに拡張しながら、しかしテーマはどんどん集束して行くことを明示しており……彼女の人生史が圧縮されたような展示……。

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 旅行のスタート地点、上野駅では「これこれこういう事情で撮影させてくれ、俺にフラッシュを焚かせてくれ」と下川に被写体を頼み、13番線の無人ホームで延々と下川を撮影して、どうにかして「明るいとこう写る」「暗いとこう写る」みたいなトライアンドエラーを繰り返し、一応の見識を得た。

 カメラマンさんに撮影を頼んだことは何度もあるし、「バウンス撮影」とか「多灯ストロボ」とか知識としては知ってるし見たこともあるけど、いきなり自分でやることになるとビビりますね……。撮影当日まで現地のロケーションがわからなかったのも超不安でした。

 そして当日、撮影に望んだわけですが、実際には敏腕編集者がいい感じのロケーションを提案してくれたので場所の不安もなくなり、なにせカメラはフルサイズのα7II、レンズはシグマのArt、ピントと光量さえ気をつければキレッキレの写真が撮れました。撮影中はとにかくシャッター切りまくり、取材全て終わって、SDカードをMacに読んで、写真を見た時本当に安心した……。撮れてた……。いや、そりゃ撮れるだろ、本気で撮ってんだから、とは思いつつ……。

撮影したり文章書いたりしたやつが後日出ると思いますが、出たらまたココに書きます。そんなこんなで9月後半は取材と執筆が立て込んでおりますが、なんとかやっていきます。

いまさらすぎる自己紹介と、おしごとで書いたコラムなどの履歴

白石倖介(Twitter:@hitodama128)です。

 某コンピュータ雑誌の編集部に3年勤め、フリーのエディター・ライターになりました。編集の仕事も大好きなので募集中です。

 なんか文字書く必要があったり、日本語で書かれたコンテンツを編集する必要があったら、いつでもお声がけください(Blogタイトルの下にメアドがございます)(ツイッターのDMでもOKです)。

 

以下、スペックです。
Apple製品に強いです(ハードウェア・ソフトウェアいずれも)。製品レビュー・新製品情報なども得意です。Winももちろん、Android・ゲーム・マンガなど……何でも書きます。
(今はRealsoundテックさんで、Youtuberについて書いてます)

*企画提案します。編集さんと一緒に企画立てて作るのが好きです。
*人物撮影・ブツ撮りできます。
*インタビュー、取材が好きなので、渡航費いただけたらどこにでも行きます。


よろしくお願いします。

 

***これまでのお仕事(随時追記予定)***

realsound.jp

世界で初めてVR空間に作られたライブハウス「ZEPP VR」にて行われた、VRライブのレポートです。初めてフリーで書いた記事です。

 

realsound.jp

バーチャルYouTuberキズナアイの実在性について解説したコラム記事です。2ch(いまは5chか)で良い記事だって書かれててめちゃめちゃ嬉しかった……。

 

realsound.jp

2018年9月に発表されたApple Watch Series 4の新機能と、プロダクトの意義について解説した記事です。Macユーザ歴23年、元Appleバイス専門誌の編集者なので、MaciOSバイスに詳しいです。

 

kai-you.net

ニューエイジ・ポップユニットMaison book girlのメンバー・和田輪さんのインタビュー記事です。アイドル活動と並行して自ら3Dアバターを作成し、バーチャルYoutuberになった彼女。その創作への思いを深く掘り下げて読者に伝えるため、全力を出しました。

企画・インタビュー・文・撮影・作図をやっております。この記事では僕のできることをほぼ全てやりました。白石はこういう事ができます。

 

realsound.jp

realsound.jp

ソニーのAI事業についての発表会を取材した、前後編のイベントレポートです。最新技術は一般社会にどのような影響を与えるのか?という時点で、これからも追っていきたい分野です。

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お礼とあとがき

 風立ちぬについて書いた文が、4000人ほどの人に読まれたらしい。
 全ての人が全てを読んでくれたとは思わない。テンションはバラバラ・絵も無い・章立ても無い・時々爆発する・「スッ……」「伝われ!伝わる!」など、あまりに不親切なこの文章を、全て読めという方に無理がある。

ありがとう(『風立ちぬ』を見た僕)。 - 白石/hitodama128/コースの雑記


 だけど、例えば僕と同じような気持ちの人が、読者の中に1%でも居た場合、その人たちがもし、全てを読んで、僕の気持ちと近い場所で近い気持ちになってくれたのだとしたら、本当に嬉しい……。根拠のない1%という数字は、それでもこの場合数にすると40人だ。もし40人も、宮崎駿限界女子男子愛合同協会員がいて、僕の文章を読んでくれたのだとするならば、それだけでも理想的な喜びに満ち溢れているから、この際根拠がなくてもいい。

 ツイッターにて、数人の方から「風立ちぬを見たとき、他人の投稿する感想に納得できず、ネットを漁っても解消しなかった思いが、5年越しに晴れました」と感想をいただいた。こんなに嬉しいことはない!
 不親切な文章に一部分でも共感してくれた人がいることはもちろんだし、なにより僕はこの5年の間、「風立ちぬ」を見られずにいたから。5年前映画館に行ったあなたと、5年後の今見た僕が、心を通わせられたことが本当に嬉しい。

 あの日、深夜2時。緊張と恐れを持って『風立ちぬ』を見始めた。
 見終わった朝の4時、僕は独りでぼろぼろと泣き、明け方に「あまりに苛烈……愛……計算尺……金属……風……」とこぼすことしかできず(文字だけにすると激情型カイジみたいになってしまい絶妙に伝わりにくい)、ぼろぼろのままツイッターにつぶやきを連投した。世界はサッカーに湧いており、ボロボロのオタクはいつものように無視されるかと思ったけれど、早朝にいいね! をつけてくれた宮崎駿限界女子男子愛協会員がいて、僕は我慢できなくて、その人にDMを送った。
 あまりにも心が打ちのめされてしまった僕と、映画についての感想をやり取りしてもらえたことも、そして僕の先日の文章を絶賛していただき、身の回りの宮崎駿限界女子男子愛協会員に共有してもらえたことも、とてつもなく嬉しかった。
 インターネットには、多くの誤解に基づいた仮説や空虚な文字列がたくさんあって、でも僕はあなたとやり取りできたおかげで、その絶望に触れないで、「風立ちぬ」を愛したままの気持ちで、あの文章を書けました。あれを書けたのはあなたが居たからです。本当に、幸せです。ありがとうございます。

 

ありがとう(『風立ちぬ』を見た僕)。

 先日、『風立ちぬ』を見た。深夜、家のテレビをスピーカにつないで、一人で観た。
 ああ! 先月から僕は取り繕った文章を書くつもりで何度も悩んで、しかし今に至るまで書けない。僕はこの映画に対して、まともなジャッジができない。できないよ。ありがとう。お疲れ様でした。宮崎駿に幸あれ!Lihit!と、心と身体からエールを送っている。この感謝は僕がずっと欲しかった感情で、しかし風立ちぬを見る前にはどんなに頑張っても獲得できなかった感謝だ。キーを叩く速度がもどかしいほどに宮崎駿を愛している。誰が、誰がこの映画を撮れると思った?世界に唯一人この映画を撮れる人間がいるんだ、宮崎駿っていうんだけどさ、だけど彼にはもう撮れないよって、全員が、宮崎駿脳内限界女子男子合同愛協会インターネット支部の全員が、2013年、この映画を見るまでそう思っていたと信じているけど(この協会に属する人間をリアルで観測したことは人生で数度しかないですし僕は彼らにこの協会の称号を勝手に押し付けることにした)、やつはやりやがった。あの男は、やりやがったんだ。見遅れてごめんな。協会のみんな!見遅れてごめんな!
 そもそも宮崎駿は、ファンタジー実存主義を両立することに腐心し続けた作家だ。ハードボイルドとコミカルがせめぎ合うTVアニメ『ルパン三世(第1シリーズ)(1971~)』(と、第2シリーズの数話)や、アトラクトに富んだ冒険活劇『未来少年コナン(1978~)』、そして映画監督としてのデビュー作『ルパン三世 カリオストロの城(1979)』……その後犬のキャラクターを使ってイタリアと共同制作した『名探偵ホームズ(1984~)』。スタジオジブリ長編映画以前から宮崎駿のキャリアは膨大で(なんならもっとあるし)、そのいずれにおいても、大きなテーマに向かう少年・青年の清々しい冒険やその心象を瑞々しい世界観に乗せ、リアリズムに根ざした深い洞察力によって描き続けてきた。
ファンタジックな美術、スピーディな展開とそれを補強する疾走感溢れる描写、これらが同居するファンタジーを描くのが宮崎駿だ。宮崎駿の中には、「夢の世界への憧れ」と「現実世界の物理への情念」が同居しているのだ。宮崎駿は、夢の世界における物理のリアリズムを描き続けてきたし、僕はそこに魅了されてきた。
「見たこともない飛行船のプロペラの回る姿」
「名も知らない草花が風に揺れるとき、そこに吹く風の姿」
「瘴気にまみれた世界で風が凪ぐとき、その音が"止む"瞬間」
「かつて人類が作った兵器がしかし人の制御を越えた歴史の中で光る、かつての人々が恐れたビーム」
 すべてが現実の世界に存在しない、にもかかわらず静謐な説得力を持って描かれているのは、彼がそこに実存を信じたからだ。「子供に嘘をついてはいけない」ってそういうことだ。信じた以上、そこにある事実を補強し続ける道を選んだのが、宮崎駿なのだ。そして前述したように彼の洞察眼は、人の営みとその周辺すべてに、揺らぐこと無く注がれている。草や花・川のせせらぎや美しい石畳・人間の営みとしての産業・叡智としての兵器・未知の地平に向かうため、轟音を響かせて空を飛ぶ船…ガンシップ巨神兵……。美しい自然と、それらを焼き尽くす兵器、そしてその2つを結びつける"炎"、宮崎駿の視線はこのすべてに平等に注がれる。彼はこのすべてを、つまりは人の営みとその風景を、愛している。
風の谷のナウシカ(1982~)』においてナウシカは言う。
ガンシップは風を切り裂くけれど、メーヴェは風に乗るのだもの」
 この一言で宮崎駿のすべてがわかる。ガンシップの重厚な飛行は"現実"の揚力に根ざし、メーヴェの飛行は風との共生を持って行われる"思想"の飛行なのだ。そして、ナウシカは"思想の飛行"を愛する女なのだ。現実も虚構も愛し、しかしナウシカを主人公にしたとき、"その飛行は虚構なのではないか?"という問いかけに対しての清々しい反論を描ききることができなかった宮崎駿の苦しみ! 『風の谷のナウシカ』はラスト、大海嘯後の世界で「生きねば……」と結ばれる。思想と現実世界に横たわる諸問題を清濁合わせて見つめた上で、生き続けることに答えを見出して終えたことがどんなに苦しいか!俺にはわかる(気がする!)わかるよ(勝手に!)。
天空の城ラピュタ(1986)』で、亡国の姫君・シータはこう語る。
「『土に根を下ろし 風と共に生きよう 種と共に冬を越え 鳥と共に春を歌おう』
どんなに恐ろしい武器を持っても、たくさんのかわいそうなロボットを操っても、土から離れては生きられないのよ!」
もののけ姫(1997)』のラスト、アシタカはサンに向かってこう語る。
「サンは森で、私はたたら場で暮らそう。ともに生きよう。会いに行くよ、ヤックルに乗って」
 常に宮崎駿は、文明の象徴たる産業・兵器を愛し、しかしそれによって開拓されていく自然に胸を痛め、その共生に答えを出せないまま描き続けてきた。その共生すら、物語の中で描く必然、「虚構」となってしまうことがあまりにも苦しい。しかし宮崎駿はその洞察眼をもって虚構を刹那、真実に変えてしまうので、僕はその力を垣間見るたびに、宮崎駿が美に寄せた思いとその苦しみを思ってしまうのだ。
 たとえばメーヴェが「ふわっ・・・」と浮き上がり、次の瞬間青い光を灯して飛んでいくあの数秒、僕らはメーヴェの実存を信じてしまう。なんと残酷な作家性、三点リーダで伝えられない行間で風に乗るのだ。
 大きい雲の中に雷が鳴るのを見るとき、僕らは「龍の巣だ」と思ってしまう。それは宮崎駿がリアリズムに根ざした視線で描いていたからだ。何をって、ラピュタを。「ラピュタは本当にあったんだ!」って、あの瞬間にあったと思える真実こそが、そこにあった。
 刹那を真実に変える洞察力の真骨頂が『千と千尋の神隠し(2001)』だ。宮崎駿のリファインされた少女像「荻野千尋」はこれまでになくシニカルで、彼女が降り立つ世界には宮崎駿が冴え渡っている。彼女を導く少年ハクは、幼い頃の千尋を助けた川の神様だった、というストーリーラインは「縁」に根ざしており、この構成自体が非常に日本的で、海外からの評価が高かったのも理解できる。どこにもない湯屋の世界に、ジャパニーズ・トラディショナルを見る映画だった(実際のイメージボードのモデルは台湾だったらしいけど)。

 しかし彼は、描くたびに自身の理想と虚構の間に苦しんでいたのだろう、そしてその絶望は重く、『ハウルの動く城』『崖の上のポニョ』が産まれた。僕はこの2つの映画を劇場で見たとき、「宮崎駿は、きっと終わってしまったのだ」と思った。『ハウル』の感想は「CGで動く城とカルシファーが良い」で、『ポニョ』の感想は「絵作りも何もかも変えてきたけど、結局序盤の軽自動車が一台で演るカーチェイスが『カリ城』を思い出す疾走感で格好いい」だ。
 つまり、理解できなかったのだ。あんなに美しい、リアリズムに根ざした描写はどこにも見当たらなかった。その静謐な眼差しはどこに行ってしまったの? 僕らのもとにはもう、帰ってきてはくれないの? 大いに悲しんだ。でも、「宮崎駿はずっとやってきた。『もののけ姫』で引退するって、言ってたじゃない。そんな彼が、『千と千尋の神隠し』を撮ってくれただけで、あまりにも嬉しいよ」って、そう思っていた。だから身の回りの人間にはそういうふうに伝えていたし、その後公開された『風立ちぬ』が怖かったんだ。僕は見ることができなかった。宮崎駿が何を描くのかわからなかったから。

 でも、先日、見た。
 僕としては上記の思いをすべて忘れた頃に、「そろそろ見るか〜! 宮崎駿、どんな感じ〜??」っていうような気持ちで見たかったのだが、そういうわけにもいかなかった(多分そんな日は来ないし……)。
 身の回りにいる、信頼できる数少ないオタクと宮崎駿脳内限界女子男子合同愛協会インターネット支部リアルフェイズの人々が口々に「『風立ちぬ』は…見てほしいですね……でも、Hitodamaさんは、見たうえで"苦手"って言うかもしれません……」と哀愁を漂わせながら語る日が1週間に1度ぐらいのペースで続いたのだ。5年前に撮られた映画についての思いを、別々の場所でそれぞれ聞くことになるなんて、大変珍しいことだし、僕は信頼に(たとえ喚き散らすことになるとしたって)信頼で答えたかったので、DMMレンタルで借りて、見たのだ。

スッ……

 上映数分で、主人公の少年は不思議な形の飛行機に出会う。家の屋根に留まるその飛行機は、動力も、飛ぶ機構もわからない。この飛行機に乗って、主人公は街に繰り出していく。橋の下をくぐったり、急速上昇をしたり、アクロバットな飛行に地上の人々は驚き、窓から顔を出して見守っている。やがて、見知らぬ大きな船が、より上空から現れる。重い雲をまとったこの船がぼとぼとと落とした弾丸に主人公の飛行機は貫かれ、ばらばらになってしまう。
 墜ちていく飛行機、次の瞬間目を覚ます主人公が見るのはボケた蚊帳。頭上にある眼鏡を取り、かけると、カットが主人公の視点に変わる。この視点は眼鏡の光学収差で歪んでおり、眼鏡の外はボケている。窓の外に目をやると、線路の上を汽車が走っていた。
 この数分だけで、僕は参ってしまった。宮崎駿がそこに居た。
 夢の世界に現れた飛行機を見たとき、僕は正直「参った、またこれか」と思った。リアリズムの外に飛ぶ、ベタッとした色の飛行機が、『ハウル』を思い出させた。でも、夢が覚め、主人公がボケた蚊帳を眺め、そして眼鏡をかけたとき、宮崎駿が『ハウル』と『ポニョ』でやろうとしたことが、やっとわかったんだ。
 宮崎駿は『ハウル』や『ポニョ』でリアリズムのレイヤーを越えようとしていたんだ。空想の世界における物理を静謐に描くことでそこに説得力をもたせていた作家が、その物理から疑ったときに、『ハウル』のような色が、そしてポニョという生き物が産まれたのだ。自身の中に根ざした愛も、仕組みも、すべてまっさらに、紙の上に初めて線を引くように定義していった世界が『ハウル』であり『ポニョ』だったのだと、やっとわかった。
風立ちぬ』の作品演出は最後まで一貫しており、夢の世界はリアリズムを排して描かれ続けると同時に、現実世界には残酷に静謐な視線が注がれている。開始5分で出てきたシーンの圧倒的な情報量に打ちのめされてしまう。幾度も明示される夢の世界の不可能性が、ナウシカぶりの「思想の飛行」を可能にして、それを開始5分で果たしたことが、見えましたか? そして現の世界に現れる病的な光学収差、機関車の美しい軌道……見えますか?
 『風立ちぬ』は時代に翻弄された飛行機設計技師である主人公・二郎の人生に寄り添って進んでいく。二郎が少年期に読んだ雑誌には、イタリアの飛行機設計技師、カプローニ博士の姿がある。自身の大先輩であるカプローニ博士に思いを馳せた二郎は、夢の中で彼に出会う。博士は戦争の終わった世界で巨大な旅客機を飛ばすことを夢見て、二郎に自身の設計した飛行機を披露する。
「僕は近眼なので、飛行機の操縦士にはなれないんです」と二郎が言う。
「私も飛行機の操縦は出来ない。作る人間だ。設計家だ。飛行機は戦争の兵器でも商売の道具でもない。夢を形に出来るものだ。さらば少年!」
カプローニ博士は答える。
 その後も数度二郎は夢の世界へいざなわれ、カプローニ博士に出会うことになる。そしてそれだけで、時は過ぎてしまう。「人間の創造的時間は10年だ!」と言うカプローニの激励を受け、二郎は夢と現を往来し、そのたびに宮崎駿の視線が見えるような説得力が僕らを揺さぶり、そして次の瞬間に物語の時間はどんどんと過ぎていく。
二郎は大学生になり、東京へと向かう汽車に乗っている。ここで二郎の声が

庵野秀明に変わるのだ!! 最高の芝居だ、胸が震えた……!
「風が立つ、まだ生きようと試みなければならない」とつぶやく二郎、あまりに静謐な汽車のシリンダー、あまりに静謐な汽車のシリンダー! 汽車から見える風景や、汽車の中で出会った美しい令嬢……それらをすべて止めてしまう関東大震災の恐ろしい音。家々が揺れ、簡単に崩れてしまうことの、根源的な恐ろしさ。
 カプローニに向かってとひとりごちる二郎の姿。
「日本の少年よ、まだ風は吹いているか?」
「吹いています。恐ろしい風が……」
 食堂で見る、さばの骨のアールの美しさが飛行機の翼に活かせないかと考える二郎……ああああ! 伝わってるか? みんなついてきてるか? 現実世界と人間の産業は常に地続きでそれらをいずれも愛している宮崎駿が、そしてその苦しみの中でやっと出した一つの答えそのものがこの物語だった、ということがわかってもらえるだろうか? 何度も苦しみ、物語の中で思想の代弁者を探してしまった宮崎駿が、そこから解き放たれる物語を描けた、そしてその舞台が90年前の日本であることの美しさ、「生きねば。」と書いた意味……! 伝われ! 伝わる!

 ……もう、「あらすじを書いて定期的に爆発する」という文体、これを書いている僕がその怪異に参ってしまうので、思うところを点々と書いていきますね……。

計算尺
 関東大震災で菜穂子さんの付き人が足を痛め、接ぎ木に計算尺を使うシーンでは、計算尺は裏返っている。でも、二郎が就職して、はじめての仕事でカバンから出す計算尺は、表になってほんの数秒画面に映る、この計算尺があまりにも美しい……! 等間隔に刻まれたメモリがつるりと滑り、二郎はその数字をすべて理解して仕事を始めて、そう、最初のシーンで裏返していたことも、仕事を始めたシーンで初めて計算尺を映したことも、道具に対しての尊敬があるから、すべて必要なんだ。

・金属
 日本人が、紙と木でできたフスマみたいな飛行機を飛ばしていたとき、ドイツでは金属の飛行機が空を飛んでいた。それを目の当たりにした二郎の衝撃が、ジュラルミンの飛行機にそのまま描かれている衝撃が伝わる? 紙と樹木でできた飛行機がジュラルミンを纏うとき、静謐な金属への静謐なまなざしを描きとる静謐なまなざしは、宮崎駿、あなただけのものだよ! 美しすぎるドイツの飛行機や石畳が胸を震わせる。

・1度目の試作機
 二郎が就職して作った、初めての試作機(七試艦上戦闘機)が墜落してしまう、この数分間が恐ろしい。晴れていた空は気づけば曇り、雨の中で墜落した飛行機を前に呆然とする二郎……。この空に『となりのトトロ』の皐月が走るシーンを思い出してしまう。刻一刻と日が沈むあのシーン、覚えていますか? 宮崎駿は、時間すら描いてしまう……。

・シベリヤ
 シベリヤを与えようとして、子供たちは唾を飲みながらも、それを受け取らない気高さを持ち駆けて行く。そしてそれを「それは君のエゴだよ」と一蹴される二郎。
 このシーンは、この映画が「飛行機の話」だと思っている人にとっては、全く必要ないだろう。でも、宮崎駿という人間が『風立ちぬ』という映画を撮るときには絶対に必要だったシーンで、彼が何に苦しんで、しかし何に誇りを見たのか、つまりその洞察眼の根ざす先に常に居た「子供」の尊厳を描ききっている。

・菜穂子さん
 菜穂子さんはこの映画のミューズだ。二郎は最序盤に偶然出会った彼女と再回帰運命(『運命的再会』の因果律が逆のやつを今作った)を果たし、交際が始まる。しかし当時の死の病・結核にかかった菜穂子は、療養のために高山病院へ。仕事を始めた二郎は遠くの菜穂子を思うが、菜穂子はとうとう病院を抜け出して、二郎に会いに来てしまう。結婚を交わした二人が、僅かな時間をともに過ごすそのシーンで、二郎の妹・加代は二郎に詰め寄る。菜穂子が二郎に顔色をさとられぬよう、頬に紅を差してまで寄り添う姿に耐えられなくなった加代と、それに向けた二郎の言葉があまりにも重い。
「加代、僕たちは今一瞬一瞬をとても大切に生きているんだ」
 現実の世界と夢の世界を行き来するこの物語で、そのたびに二郎は歳を取り、しかし、現世にはあまりにも「夢」があり、「夢」という言葉の2つの意味をどちらも支持しながら「僕たちは今一瞬一瞬をとても大切に生きているんだ」って言える人生がどこかにあって、そこで風が吹いていたんだと思うと、二郎と菜穂子の人生のその瞬間を寿がずにはいられない。このシーンから先、涙が勝手に流れ続けてしまい、僕は一人「風が……」とつぶやく存在になった。

・2度目の試作機
 二郎が飛ばした二度目の試作機は空高く舞い上がり、とんでもない飛行速度を叩き出す。逆ガル翼の美しい飛行機は、一瞬空想の中の飛行機と見紛うが、九試単座戦闘機の試作一号機は実際にこの姿だったらしい。飛行が成功して歓声に沸く中、しかし二郎は菜穂子に思いを馳せる。菜穂子は置き手紙に思いをしたため、誰にも知らせずに高山病院へと戻っている。「美しいところだけ、好きな人に見てもらったのね」という言葉が去っていく彼女を物語り、そして菜穂子を思う二郎の横顔には、風が吹いているのだ。この瞬間、物語が終わることに泣いてしまう。語るべきことが語られ、夢と現の2重螺旋は見事に結ばれ、そして物語が飛行に回帰したこの瞬間に。

・夢を越えて
 最後、夢の世界でカプローニ博士と出会った二郎。上空には灰色の空に向かうゼロ戦の姿が見える。ゼロ戦は飛び、しかし炎をまとい、煙が昇るのと逆さまに墜ちていく。
 カプローニ博士は二郎に問う。
「君の10年はどうだったかね?力を尽くしたかね?」
「はい。終わりはずたずたでしたが」
「あれだね、君のゼロは」
 二郎は答える。
「はい。でも、一機も戻ってきませんでした」
 すべてが、燃えてしまう。夢に、現に、激動の時代に、争いと炎に揉まれながら、しかし一瞬一瞬を必死に、大切に生きて、それはあまりにも苛烈で、そして最後には、菜穂子は去り、美しい飛行機は爆弾をたくさん積んで、積載量はデザインを殺し、そしてそのゼロですら、燃えてしまう……。二郎の10年はずたずたに、終わるのだ。それでも、それでも「風が立った、まだ生きようと試みなければならない」のだ。
 カプローニ博士と初めて会った草原で、ずたずたに終わった10年に思いを馳せる二郎は、ここで菜穂子と最後の邂逅を果たす。菜穂子が夢の世界で再び二郎の前に現れる刹那、あまりに短く、目まぐるしく、何を得たのかともわからないままに、とめてしまいたくなるような人生そのものを前に、しかし菜穂子は、
「あなた。生きて……生きて……」
 と言う。夢の世界から生へと託されるバトンを、二郎は
「ありがとう……ありがとう……」
 と受け取るのだ、今を生きる庵野秀明の声で……!その瞬間、二郎の髪は風に揺れている……。
 宮崎駿は自身の創造的時間を超えて、ずたずたになり、しかし人生の中で、何度も風が立ったのだ。そんな風の物語を描くとき、主人公の声を庵野秀明に託した理由が、その答えが、わかってしまう気がするんだ。涙が止まらない。

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 空への飛行は、かつて人類が夢見て、そして達成した大いなる出来事だ。飛行に必要だったのは、風だ。宮崎駿は、幾度も風と飛行を描いた。同時に、現実に横たわる問題と戦うとき、空想・思想が敗北する瞬間に苦しみ続けてきた。
このいずれもを内包し、回帰し、そして自身の人生に物語を編むような奇跡を持ってこの物語を締めくくってしまった。そしてその舞台が、現実世界としての90年前の日本だったことが美しすぎる。


・最後に
 あなたが最後にその眼差しで見つめたものが、現実であったことにただただ感謝しています。物理法則や機械や人間に対して、残酷に誠実な眼で向き合ってくれたから、本当に嬉しくて悲しい。寿ぎ(呪言)の映画でした。七番目の橋が落ちるときに汽車が走り、ドーバー海峡の大空中戦でハドソン夫人が走らせた車輪……郵便局員が飛んだ、キキがデッキブラシで駆けた、ナウシカが風に乗った、あの空へと思いを馳せて、しかし苛烈に生きた人々の最後に、すべてが燃えてしまうということへの悲しさも胸に……。


・余談
『風立ちぬ』の公式WEBサイトに、映画の企画書が掲載されている。一つ引用したい。

ーー航空技術のうんちくを描きたくはないが、やむを得ない時はおもいっきり漫画にする。この種の映画に会議のシーンが多いのは日本映画の宿痾である。個人の運命が会議によって決められるのだ。この作品に会議のシーンはない。やむを得ない時はおもいきってマンガにして、セリフなども省略する。描かねばならないのは個人である。ーー

「この手の映画に会議のシーンが多いのは日本映画の宿痾である」と語ることにも納得できるし、その結果として産まれた『風立ちぬ』は素晴らしい省略により鮮やかな場面転換を果たしているとも思う。前述したが、この映画を撮る際に主人公を庵野秀明が演ったことは必然だったと言える。そして、この映画の公開後、庵野秀明が何を撮ったか覚えていますか?……シン・ゴジラだよ!日本映画の会議シーンを継承した大傑作。シン・ゴジラは、庵野秀明からの宮崎駿に対する意趣返しとしてすら機能しているの、恐ろしい……。
 シン・ゴジラも大傑作なので、庵野秀明という男の歴史に根ざした人生の映画なので、また書くかもしれません……。

 

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 ジブリは見放題とかにないので、買って……見て!!!!

 
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 僕は『風立ちぬ』を見たあとしばらく、上に書いたやつを感激とともに15分ぐらいかけて他人にべらべらと話してしまうという症状を持っていたので、数少ない友達に、上記の思いを伝える機会が何度かあったのだが、マジで友達が少ないので、開催された会のうち3回にハマ・オカモト氏が同席しており、つまりハマ君は僕の早口オタクを3回、しかも同じ話を延々聞かされる羽目になった。そんなハマ君が、「そういうの、書き残しておいたほうが良いよ」と言ってくれたので、頑張って書いたよ。書いてから思ったけど、書いてよかったと思う。ありがとう。

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 ありがとう。